おはこんばんちは🙂 あすゆき(@asliyuuki)です。
デリーにある10の歴史的に重要なグルドワーラー(シク教寺院)を巡る記録です。今回は5つ目の、Gurdwara Majnu Tilla Sahibです🌟
Table of Contents
Gurdwara Majnu Tilla Sahib

@ Majnu Ka Tilla

今回は北デリーのヤムナー川のほとりにあるエリア、マジュヌ・カ・ティラ(Majnu Ka Tilla)にある、Gurdwara Majnu Ka Tilla Sahibです。マジュヌ・カ・ティラと言えば、チベット人の居住地で、チベットの文化や雰囲気が味わえることで有名ですよね。ではこの辺りをなぜ「マジュヌ・カ・ティラ」と呼ぶのかをご存知でしょうか。このグルドワーラーの歴史を知ることで、その名前の意味を知ることができます😊
歴史とゆかりのある人物
Gurdwara Majnu Ka Tilla Sahibにゆかりのある人物は、初代グル、グル・ナーナクです。そしてこの「マジュヌ・カ・ティラ」という地名を作ったのはファキール・アドブラという男でした。
15世紀頃、スーフィー(イスラム世界の神秘主義者)のファキール・アドブラは、イランからこの辺りにたどり着きました。彼は神のメッセージを人々へ伝えるため放浪しており、ここヤムナー川のほとりでは人々に神のメッセージを伝えるために小さな小屋を建てて留まることにしました。当時はヤムナー川に橋などありません。そこで彼は人々のために、また神への奉仕として、川を渡りたい人を自身の肩に乗せ、何度も何度も川を往復しました。この彼の常人離れした行動は人々に驚きと感動を与え、いつしか彼は「マジュヌー(狂った人)」と呼ばれるようになったのです。こうしてこの辺りは、彼の名前と共に「マジュヌ・カ・ティラ(狂った人の丘)」と呼ばれるようになりました。
ファキールはこの場所で、人々から当時広まっていたシク教やその教祖であるグル・ナーナクについての話を聞き、いつかグル・ナーナクに会えることを祈っていました。1505年、グル・ナーナクがデリー訪問の際にこの地を訪れ、ついに二人は対面を果たしました。グル・ナーナクも彼の行動に深く感銘を受け、この場所へ滞在し、彼の行動によりこの場所が「マジュヌ・カ・ティラ」と呼ばれることを祝福しました。
この場所は、グル・ナーナクの時代の後に、他のグルが訪れたことも知られており、シク教にとってとてもゆかりの深い場所として知られています。
グルドワーラー

広々とした敷地内には2つのダルバール(ホール)があり、上の写真のイエローカラーのほうは昔のものなのだとか。
これは確かな情報ではないのですが、デリーのシク教の方は亡くなった後はこのグルドワーラーで荼毘に付すことが多いのだと、知り合いのシク教の方に聞きました。ヤムナー川のほとりですので、もしかしたらそうなのかもしれないですね。



おわり🙂
#05 Gurdwara Majnu Tilla Sahib
● Place – Majnu Ka Tilla, Delhi
● Associated with – 1st Guru, Guru Nanak ji
● Sikh Artifacts – No
● Saraan – n/a
● Sarovar – No
デリーの重要な10のグルドワーラーシリーズ ☬
あすゆき
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