【タージマハル探し#09】小さな先輩ベイビー・タージ、イティマード・ウッダウラー廟


おはこんばんちは🙂 asliyuukiです。下書きにたまっていた記事を整理中♩今日はアグラにある「ベイビー・タージ」と呼ばれるイティマード・ウッダウラー廟に行ったときの日記です✨

ベイビー・タージ

ムガル帝国の都として栄えたアグラには、当時の繁栄を物語るムガル建築の傑作が点在していますが、その中のひとつが【 Itmad-ud-Daula 】イティマード・ウッダウラー廟です。タージ・マハルの横を流れるヤムナー川の対岸の上流側にあるこの廟は「ベイビー・タージ」とも呼ばれているということで、行ってきました~!!

Itmad-ud-Daula(イティマード・ウッダウラー廟)

イティマード・ウッダウラー廟の意味は、ペルシャ語で国家の柱の霊廟(ムガル帝国の公用語はペルシャ語)。この霊廟で眠っているのは、ムガル帝国第4代皇帝ジャハーンギールの妻ヌール・ジャハーンの父で、ムガル帝国の首相であったミールザー・ギヤース・ベグです。1922年にミールザー・ギヤース・ベグが亡くなると、娘主導で建てられ、1628年に完成。タージ・マハルができる約25年も前の話です。

ミールザー・ギヤース・ベグはイラン出身で家族を連れてムガル帝国へ移住しました。第3代皇帝アクバルに仕えたのち、ジャハーンギールにも重用され、「イティマード・ウッダウラー(国家の柱)」の称号を授けられました。娘がジャハーンギールと結婚したことからも信用されていたことが分かりますね。ジャハーンギールはアル中・アヘン中毒などだったらしく、一国の主として機能しないことも多々あり、彼の時代は妻ヌール・ジャハーンやミールザー・ギヤース・ベグなどが実権を握ったと言われています。娘がムガル帝国の皇帝でもないのに、父の立派な霊廟を建てちゃうよ!っていうのも、やはりヌール・ジャハーンに力があった証なのかも。(もちろんジャハーンギールもお父さんラブ!だったのかもしれない)

ちなみに、ミールザー・ギヤース・ベグの息子アーサフ・ハーンはムムターズ・マハルの父。つまり、ムムターズ・マハルのおじいちゃん!ヤムナー川を挟んで、おじいちゃんと孫でアグラに眠っているんですね~。

イティマード・ウッダウラー廟は、白大理石で造られ、大きなドームと4つの柱というデザインが後のタージ・マハルに影響を与えたともいわれていること、タージ・マハルよりはこじんまりとしているその姿から「ベイビー・タージ」の名前でも呼ばれているんだとか。のちの第5代皇帝シャー・ジャハーンが白大理石を好んでいたことは広く知られていますが、ムガル建築で白大理石メインに用いたのはこの霊廟が初めてなんだそうです。

白大理石で造られた霊廟でベイビー・タージっていうと、本家と似たようなもんかな~と感じますが、全然印象が違った!この霊廟は、装飾が本当に繊細で見事でした!象嵌装飾が外壁・部屋の中・床にも施されていて、どこ見たらいいの~~??っていう、まさに福眼体験。「大理石でできた宝石箱」と形容されることもあるらしく、本当にその通り、装飾を目にするときは宝石箱を覗くときめきがありました。

あと写真を見てもらうと分かると思うのですが、全然観光客がいない!こんなに美しくて綺麗なのに!もしかしたら私が行った時たまたまだったかもしれないけど。タージ・マハルの喧騒から離れてゆっくり建築を堪能したい方にもおすすめだと思います。また機会あったら行きたいな~と思うほど私は気に入りましたー!

床もかわいい、全部かわいい
塔の上まで装飾が!

おまけ

タージ・マハルとイティマード・ウッダウラー廟を比較してみた👀

タージ・マハル イティマード・ウッダウラー廟
眠っている人 ムムターズ・マハル ミールザー・ギヤース・ベグ
建てた人 夫シャー・ジャハーン 娘ヌール・ジャハーン
死去年 1631年 1622年
着工年 1632年頃 1622年頃
完成年 1653年頃 1628年頃
かかった年数 約22年 約6年
タージマハル探し

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