おはこんばんちは🙂 あすゆき(@asliyuuki)です。先月のいろいろあったことで感じたことを最後に書いておきたいです。
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何より安全が一番大切だということ
まずこの体験を通して「安全」つまり「自分の命」に変えられるものはないのだ、一番に大切にしないといけないことだと改めて気付きました。それを守れるのは自分だけ。それがインドで働く選択を心配しながらも応援してくれている家族や友達に対するせめてもの守らなければいけない約束です。
ローカルを選択したことはいろいろな理由がありますが、たった10000ルピーや20000ルピーをケチってまで、安全でないところに住むべきではないのだということを身を以て知りました。現地採用や留学で来ていたら、難しいことでもあるとも思いますが。。。
インドに旅行で来て、最低なサービスのホテルに泊まることは我慢することができるし、笑い話にできると思います。でもここで生活をするというのはそういうことじゃない。旅行じゃないんだ、自分の生活の基盤が脅かされることは、精神的にもよくありません。だからこそ本当に慎重に選ばなければいけないんだってこと。
「安全」つまり身の回りの人が自分のことを考えてくれている、思いやってくれる環境ということです。ぼったくられたまま、大切にしてくれない人のもとで暮らすことは自分を大切にしていないということ、自分を裏切ることと同じ。だから早く気づけてよかったです。今回新しいお家に引っ越してすぐに、まだ何も生活のセットアップができていないだろうとオーナーさんが朝食を準備してくれたんですね。その時、どんだけ嬉しかったことか、自分を大切にしてくれる人と付き合わなきゃだめだと強く思いました。
新しい部屋に引っ越して、助けてくれた友達にぼやいたんです。「私、最初から部屋を紹介してくれた彼女にお願いすべきで、ここを選ぶべきだったよ」そうしたら「でもあの変な家に住まなかったら、最初からここを選ばなかったよ」と。それもそうだな、とも思います😅 ローカルのところに住む気満々で、そういうところは避けたほうがいいよ、と言われても「私は大丈夫!!」となってたと思いますから。
そういった意味でも、何かもっと大きなことが起こる前にインド生活の始めでこういったことにつまづき、気付けたのはよかったのかな、と思います。
信じていた幻想に気付けたこと
今回疲弊してしまったのは、もちろん生活の基盤が揺らいでしまったこと、お家というのは安らぐ場所なのにそうではなくなってしまったこと、というのもありますが、何より辛かったのは全く話が通じない相手と話をしなければいけなかったこと、です。言葉を選ばずにいうと「こんな人たちがいるの?」
よく考えると良かれと思ってしたことが、全て裏目に出ました。
早めに家を退去することを伝える(早めに伝えた方が相手にも良いと思ったから)
→鍵を付け替えられる
警察を呼んだ(警察を呼ぶことで、適切に対応してもらえると思った)
→さらに逆撫でする結果になった
日本であれば万が一トラブルが起こった場合でも、ある程度同じ常識、良識感を持って会話・対話することができると思います。でもそれが出来ないことがショックだった。おそらく向こうは本気で自分たちは悪くない、と思っている様子でした。私の言葉なんて何も聞いてもらえませんし、響きません。そんなことは今まで起こったことがないし、驚きだったし、ショックでした。
(ちなみにオーナー一家には娘がいるけど、彼女が海外に一人で行って同じ目にあったらどう思うのかな?と聞いてやりたかったし、こんな親を見て育つ子どもが不憫だなと思いました。そしてこういう親の対応を見て、良い悪いの判断がインド仕様になっていくのだろうな、と)
私は日本人だろうがインド人だろうが、どんな人でも同じ人間。どこに行っても、どんな人でも仲良くできる。人種も、考えも、肌の色も、宗教も、給料も、学歴も、関係ない。分かり合えるはず。と、平和ボケの頭でそうやって妄信的に信じていたのだと気付きました。インドでもいろんな人がいるけど、きっと大丈夫、分かり合えるんだ、と思っていたんです。
でもそれは少し違うんだと思う。そして今回起こったことは私が外国人だから、日本人だから、というのも理由の一つであると思いました。私はローカルの中に入って行っても大丈夫、なんて軽く思ってた。でもそこにはそこの人たちの生活がある。そして向こうからしたら、私はただのよそ者です。もしかしたらそこの人たちにとっての10000ルピーと、私にとっての10000ルピーは違うのかもしれない。その切実さは違うのかもしれない。
もちろん今回は少し悪意のある人に当たってしまったような気もするけど、ローカルの中にズカズカ入っていって騙されたとは言えなくて、私の責任なのだと思いました。外国人として生活するのは、ちゃんとわきまえないとといけないのだということ。外国人であること、日本人であること、それがどう見られるのか、を私はちゃんと分からないといけないのだと思いました。
私が日本人だということ
最近インド人の友達との会話の中で「給料はいくら?」という話題になりました。インド人はこの話題が好きですね。その時に正直に言ってしまったら…「すごーい😳」というリアクションでした…。私からみたらその子も立派な仕事をしてます。だから、私自身もびっくりでした。でもどうやら現地採用がもらっているこの金額ですら、やはりまあまあ良いお給料なのですね。
私だって前職から年収は落ちたし、もっともっと稼ぎたい。それくらいの向上心はあります。日本人にとってはそう思う金額でも、ここではきっと多くの人よりも高い金額。じゃあ、その差ってなんなの?って考えるんです。私が他のインド人の人より優れてるから?そうじゃなくって、これは日本人というだけで無条件で与えられるもの。
リクシャーのおっちゃんにぼったくられたり、文句言ったり言われたりして戦うこともあるけど、それでもたまにふと思うんです。「私より長く生きてる人に対して、私は失礼だな」「こんなガキに文句言われて、おっちゃんはどう思うのかな」
この記事の写真。素敵なカフェに座ってコーヒーを飲んでいるときに、ふと窓の外にあるリクシャーが目に入った。この一杯のコーヒーの代金で、どれだけの人がどれだけ幸せになれるんだろう?
やっぱり上にも書いた通り、人類皆平等なんて嘘っぱちじゃないのかな。私は日本人として生まれただけで、自動的に学校に行くことができて、結婚うんぬんかんぬん言われなくて済んで好きなことができて、ビザ基準で保証されたお給料をもらうことができる。今更、みんなが平等にならなきゃおかしいとも言うつもりもないし、それをすべてを変えてやるとも思わないけど、自分が生まれた時から持っている幸せのチケットに気づくことができた。
うーん、言いたいことがまとまらないけど、だからこそここにいれることに感謝して、インドで生活できることにも感謝して、もちろん人生に向上心は必要だけど「足るを知る」っていうことにもっと目を向けてもいいんじゃないのかな、と思うようになりました。
インドが好きですか?
変なタイトルになりました。「私はインドが好きですか?」でもこれを何度も自問自答していました。この渦中に会った時、いろいろショックすぎて「インドが好き!」なんて言える人のことが信じられない、と思うくらい病んでました…。でも私だって側からみたら「インドが好きで来たんでしょう?」っていう分類されるような人間。でもここにつらつらと書いてきたように、私は何にも分かっていなかったんだな、と学びました。
インドを好きというには、とても広すぎて、大きすぎて、言えない。きっと、これ。今ようやくこう思う。まだまだ知らないことばかりで、私には理解できない。いろんな文化や考えを持つ人が集まった国で、この国はデリーだけを見たってグルガオンだけを見たって、大都市だけを見たって分かるはずがない。行ったことがない場所もいっぱいあるって意味でも分かり得ないし、やっぱりあくまでも外国人である私にはこのインドのことが分かるわけがないんじゃないかって思う。
このインドに何年も、何十年も住んでいる日本人の方達を純粋に尊敬します。私たちが小さな頃から当たり前と思っていたことが通じないこの場所で、いろんなことを乗り越えて、振り回されて、悲しみとか憎しみとかその先に、愛おしいって思えた人が「インドが好き」って言えるんじゃないだろうか。
私は、インド映画が好き。ヴァルン・ダワンが好き。(笑)ヒンディー語を学ぶことが好き。それはきっと確かだけど、それとインドが好き、とは違うことなんじゃないかと思う。
今回のことはすごく“衝撃的”だった。でも、きっと自分にとってプラスのことだったと思う。思いたい。このことでありがたいことに新しい出会いもあった。そしてたくさんの人に助けてもらったこと。そういったことを忘れずに、それを今度は恩返しできるように日本人である自分がインドにいる意味を考えながらここでもう少しできるだけ、生きていきたいなと思いました。おわり。
あすゆき
最後までお読みいただき、ありがとうございました🧡
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