(2019年/インド/ヒンディー語/@新宿ピカデリー)
- 原題:Manikarnika: The Queen of Jhansi
- 監督:カンガナー・ラーナーウト、クリシュ
- 脚本:K.V.ヴィジャインドラ・プラサド
- 出演:カンガナー・ラーナーウト
- 制作会社:Zee Studios、Kairos Kontent Studios
- 製作費:₹125 crore(=約19.37億円)
(上)日本での公開時ポスター
(下)インドでの公開時ポスター
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あらすじ
ヴァラナシで僧侶の娘に生まれたマニカルニカ(カンガナー・ラーナーウト)は、ビトゥールの宰相に育てられ、幼い時から武士階級の男子同様に剣や弓、乗馬を習って成長した。その勇敢な行動を見かけたジャーンシー藩王国の大臣から、藩王ガンガーダル・ラーオ(ジーシュ・セーングプタ)との縁談が持ち込まれ、やがてマニカルニカはジャーンシーに嫁ぐ。
藩王は彼女にラクシュミーという名を与え、マニカルニカは人々からラクシュミー・バーイーと呼ばれて親しまれる。しかし、生まれた王子は夭折し、親戚の幼い男児を養子に迎えたものの、間もなく藩王が病死してしまう。その機に乗じてイギリスは藩王国を併合、ラクシュミーは城を後にする。
だが1857年にインド大反乱が勃発すると、ラクシュミーも呼応して蜂起、国のため、民のため、戦いの場へと歩を進める!(公式HPより )
実在したラクシュミー・バーイーという王妃
現在のウッタル・プラデーシュ州にあるジャーンシー藩王国の王妃ラクシュミー・バーイーの伝記映画。彼女は、ジャーンシー藩王ガンガーダル・ラーオへ嫁いだあと、子をもうけるも病死してしまい、王も重病を患い病没してしまう。しかし彼女は寡婦としての人生ではなく、子のため、また民のため、ジャーンシーという国のために先頭にたち、イギリス軍と戦う人生を選ぶ。王の死後から3年経った1857年にインド大反乱が起こると、指導者として活躍した。当時23歳であったという。1858年にイギリス軍の攻撃により戦死。敵として戦ったイギリス軍からも勇敢な女性であったと評価され、女性でありながら民の為に戦ったラクシュミー・バーイーの名は尊敬の念と共に現在も語り継がれている。
感想:戦う母親の映画!
ストーリーは分かっているものの、カンガナーの演技力は流石で一人の女性から母となりそして戦士となっていく彼女に引き込まれました。数々の素晴らしいストーリーを作っているK.V.ヴィジャインドラ・プラサドの脚本の力があってのことの映画ですが、この映画はカンガナー演じるラクシュミーという人物の映画。
鳥肌のたつショットが2つ!カーリーの像の前で何人もの戦士を斬り倒すシーン!最高のショットでした。あの辺りから、戦士の顔つきになっていくラクシュミー。そして最後の戦闘のシーンでユニオンジャック(イギリスの国旗)を切り裂くシーンも最高でした。
それにしてもインドに関わらず大戦時代のことを想うと、イギリスはよくこんな遠くのアジアまでやって来て、ひどいことするよなぁ、と思ってしまいますよね。
この映画から問いかけられたのは、私は日本に誇りを持っているのか?ということ。インドの人は様々な宗教や考え方、人種がありながらも、「インド(भारत)」や自国の歴史に対して誇りをもっている方が多いと思います。日本だって二千年以上の歴史がある国。でもあまり日本に生まれたことや、日本の歴史に対してポジティブに考えたり誇りに思う機会が無いように思いました。
私たちが住む日本も、何百年前の大戦でたくさんの方が日本という国を守るために戦い、命を落とされた歴史があります。その方達のおかげで今、私たちは日本という国に住むことができる。そんなことに想いを馳せた「マニカルニカ」からの帰り道なのでした。
あ、あとラストショットでは、燃える火が「ॐ 」になっていましたね。細かな演出も見どころです。
まとめ
● 映画「マニカルニカ ジャーンシーの女王」は戦う母親の映画!
● 私たちは生まれ育った日本に誇りを持てているのか?と突きつけられる。
最後は、ラクシュミー・バーイーの有名なこの言葉でお別れしましょう!
「मैं अपनी झाँसी नहीं दूँगी」私は決してジャーンシーを渡さない。
-ラクシュミー・バーイー