インドちょうど真ん中あたりに位置するマディヤ・プラデーシュ州のボーパールに行ってきました!先日ラクナウに行って、歴史を調べていて、違う藩王国も気になってしまって。ボーパールは藩王国として、ラクナウのアワド藩王国とは反対の運命を辿ってるんですよね。アワド藩王国は最終的にイギリスと対立して崩壊するけど、ボーパール藩王国は友好関係を築いて独立まで藩王国であり続けます。
そして興味を持ったのが、独立直前の時代を4代にわたって女性が国を治めたこと。この4人の時代に多くの建築物も建てられたようでぜひ行ってみたいなと、1泊2日で初めてのボーパール旅行に行ってきました!
ボーパール

デリーから列車でボーパールに向かいます。まず駅を降りて、街に入って感じたのが「なんかノスタルジック!」90年代とまでは言わないけど、00年代みたいな、って私その時代知らないよそ者なんですけどね。でも自分が映画で見てたような景色。なんでだろう~と思ったけど、ヒンディー語いっぱいの看板が並んでいて、道に並んでいる出店が多くて、バイクが多くて、みたいな景色がそう感じさせるのかな。
あと街の中に高低差があるのが、とても新鮮に感じました。そうか、いつも私が生活しているデリーNCRとか、よく旅行に行ってるパンジャーブ~ウッタル・プラデーシュって、ヒンドゥスターン平野なんだなと改めて実感。ボーパールは、マールワー高原と呼ばれる位置にあり、街の中には丘もあったり、坂道があったりと結構アップダウンありました。
ラージャスターン州とかでは攻めにくい高台に宮殿があったりとかは見たことあるけど、坂道に住宅街があるのってインドでは私は初めて見た気がする。坂の街横浜生まれとしては親近感でした♩
ボーパール藩王国

ボーパールは、11世紀頃にラージャ・ボージャという王様が川の流れをせき止める大きな堤を造り、そして巨大なダムをつくったと言われています。そこから【 Bhojpal ボージャのダム 】がボーパールの語源なんだとか。現在もCity of Lakeの名でも知られるボーパールには、大きな湖があり、これもラージャ・ボージャがつくったと信じられています。
その後、デリー・スルタン朝やムガル帝国などの大きな帝国からは間接統治で、周辺の権力者たちが統治していました。ラーニー・カマルパティーという女王が統治していた際、権力争いに巻き込まれた彼女は、当時ムガル帝国で働いていたアフガニスタン人軍人のドースト・ムハンマド・ハーンに支援を求めます。当時はお金を出して軍人を雇うことは一般的であったようです。ドースト・ムハンマド・ハーンは敵を一掃しますが、ちょうどムガル帝国皇帝アウラングゼーブの死去後で各地が混乱していた時、そのままボーパール周辺の実権を掌握しナワーブを名乗り、こうしてボーパール藩王国が始まりました。
男性の王であるナワーブが何代も続きますが、途中から女性の統治者に代わります。今回の旅ではこの4人のベグム(女王)の足跡を辿ってみました。
1人目 – クドシア・ベグム
最初にベグムになったのはクドシア・ベグム。ナワーブであった夫が暗殺された際、跡取りとなる男の子はいなかったものの、2歳になる娘がいました。葬式の場で、イスラム教の女性が着用しなくてはいけない顔を隠していたヴェールをとり、娘が将来の統治者になると宣言し、当時18歳であったクドシア・ベグムが、娘が大人になるまで実権を握りました。南アジアで初めて、イスラム教徒の女性が国家の統治者となった人物です。
彼女を含めボーパール藩王国では4代もベグムによる統治が続きますが、それは彼女自身が女性でも国を導けると提示したからだと言われています。
Jama Masjid

Chowkという市街地の、まさに中心に位置しているJama Masjidはクドシア・ベグムが建てました。結構こじんまりとしてます。まさにこのあたりは旧市街地として大変栄えていますが、モスクが先に出来たのか、それとも元々栄えていた場所にモスクをつくったのかどちらなのでしょうかね。

Gauhar Mahal

Gauhar Mahalは、クドシア・ベグムのピンク色の綺麗な宮殿です。クドシアはベグムとしての名前で、この宮殿の名前にもなっているガウハルが本名なんだそうです。訪れた際にはイベントをやっていて、中には入れず。でもこうやって現在も市民に活用してもらっているっていいですねー。
2人目 – シカンダル・ベグム
クドシア・ベグムの娘であるシカンダル・ベグムは、女性でありながら武術を学び武闘派の女王として知られています。彼女の治世の間に起こった1857年のインド大反乱の際には、イギリス側につきました。このことがイギリスから高く評価されたことで、領土を拡大、またイギリスと友好的な関係を築いたことで、イギリスの近代的な行政、軍事、警察システムなどを導入することができ、ボーパール藩王国は近代化が急速に進みました。
Moti Masjid

シカンダル・ベグムが建てたモスクは、Moti Majid。こちらもこじんまりとしたモスクです。自身の宮殿であったMoti Mahalの近くにあります。
Moti Mahal

自身の宮殿であるMoti Masjid。かなり大きい宮殿ですが、こちら絶賛リノベーション中で、今後ヘリテージホテルになるそうです。

Shaukat Mahal

Moti Masjidと道を挟んだ対岸にあり、連絡通路でつながっているこちらはShaukat Mahalで、この建物は母親のクドシア・ベグムがシカンダルの結婚祝いに建てたそうです。こちらは、お店などが入っていて完全に街の一部として使われています。贅沢~!
3人目 – シャー・ジャハーン・ベグム
シカンダル・ベグムの娘であるシャージャハーン・ベグムは、武闘派であった母とは違い、建築や詩、文化などを愛した人物でした。特に街づくりを行ったことで知られ、現在にも残る多くの建築物を残しています。自分の名前を冠したShahjahanabadという区画も開発しました。
Taj-ul-Masjid

ボーパール最大、そしてインド最大と言われるモスク、Taj-ul-Masjidはシャー・ジャハーン・ベグムが建てました。しかし長い期間が費やされ、17年目で彼女は死去してしまい完成を見ることはありませんでした。その後、期間をあけて建設され通算43年をかけて完成しました。とにかく広い!ほのかにピンク色でかわいい。女性がつくったモスクならでは、中には格子窓で区切った女性専用の礼拝空間を設けていることで知られています。
Sadar Manzil

シャー・ジャハーン・ベグムの宮殿として建てたのがSadar Manzilです。母シカンダル・ベグムのMoti MahalとShaukat Mahalの隣に建っています。
こちら現在ヘリテージホテルとなっており実際に泊まることが出来ます!今回宿泊してきました。2021年頃に出来上がったばかりのようで、とても綺麗。今結婚式オフシーズンだからか、お客さんもほとんどおらず、宮殿ほぼ貸し切りって感じでした。このお部屋&サービスをインドの大都市や観光都市で泊まろうとしたら数万ルピーはするはずですが、5000ルピーという超お手頃価格で泊まれてとっても贅沢な体験でした!


4人目 – スルタン・ジャハーン・ベグム
シャー・ジャハーン・ベグムの娘であるスルタン・ジャハーン・ベグムは、女性教育や学校づくり、医療、インフラなどの人々の生活の向上のために尽力した人として知られています。彼女が建てたものとしては、Sultania Girls Schoolなどの教育施設が有名です。彼女のあとは、息子がナワーブを引き継ぎました。
ボーパールのおいしいもの
Bhutte ka Kees

マディヤ・プラデーシュ州のご当地料理ブッテー・カー・キース=すりつぶしトウモロコシ。前から食べてみたいなと思っていたのですが、レストランなどで見つけられずホテルにどこで食べれるかなと聞いてみたら、なんとホテルでつくってくれました♩濃厚なコーンポタージュのようで美味!日本人好みの味!
これはマディヤ・プラデーシュ州マールワー文化の料理らしいのですが、パンジャーブにもマールワーってあるよなと思い調べてみたところ、やはり元は同じ民族みたい。また一つ勉強になった!
おわり🙂
インドが広大であちこちに素晴らしい文化があるため、ボーパールは観光都市として最初に名前が挙がることはあまりないと思うのですが、たくさんの建築物があって見どころいっぱいだと思いました。ただモスクなどの実際に使われている建築物はメンテナンスされ生きているものの、使われなくなってしまった建築物はメンテナンスされておらず老朽化が進んでいるように感じました。
シャー・ジャハーン・ベグムの時代の建築物は、今回訪れたもの以外にも本当にたくさんあるのですが、どれも放置されているような感じ。観光地として入場料をとったりするほどではなく、メンテナンスにもお金がかかるし、使い勝手があるわけではないしって放置されちゃうんでしょうね。
宮殿をヘリテージホテルに作り替えるというのは、その建築物を残すという意味ではいいのかもしれません。でもそうすると一部のお金を払える人しか見れないっていうのもちょっと寂しいところ。また数年後に訪れたら、いろいろ変わってるのかも?またボーパールに来る機会があったらいいな~と思ってます!
