おはこんばんちは🙂 あすゆき(@asliyuuki)です。ずっと行ってみたかった場所、パンジャーブ州のアムリトサルにようやく行くことができました。
私の大好きでヒンディー語を本格的に学ぼうと思うキッカケになったインド映画「Rab Ne Bana Di Jodi」はシーク教の夫婦の物語で、アムリトサルにあるゴールデン・テンプル(黄金寺院)が象徴的に登場します。いつか行ってみたいなと思っていた場所。
インドに来てから、なぜかパンジャーブとご縁がある気がして、まあ音楽とか好きだからそういうのがアンテナに引っかかるのかもしれないけれど。今年はようやくパンジャービー語の学習を始めることができたし、私生活でもパンジャーブ出身の方との出会いもありました。
だから、やっぱり今年最後に行かなくちゃ、と思って。インドに来てからいろんなことがあって、悲しかったり迷惑かけて落ち込んだり、でも自分がインドにいることに感謝しなくちゃいけないと思ったり、そういったことを何かしら消化したい、と思って。ゴールデン・テンプルでご挨拶して、ਸੇਵਾ(セーワー)して終わりたいと思ったのです。
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ゴールデン・テンプル(黄金寺院)
通称ゴールデン・テンプル、日本語では黄金寺院、正式名称は ਹਰਿਮੰਦਰ ਸਾਹਿਬ ハリマンディル・サーヒブです。大理石でつくられた壮観な建物をくぐり、中へ入ると…
池の真ん中へその名の通り、金色に輝く建物が浮かんでいます✨ 人混みの中からこの建物が現れた瞬間をなんて言おう、言葉にできません。日中も美しかったですが、夜はさらにライトアップされ、素晴らしかったです。みんな思い思いに写真を撮ってます😊 池で沐浴する人もいますし、お水を持って帰る人もいるみたいです。ちなみに飲んでる人もいました。お水は定期的に排水したり、その衛生面はメンテナンスされているそうです。
真ん中の輝く建物がハリマンディル・サーヒブです。その周りをぐるりと取り囲む回廊があるので、そこを進んで行きます。回廊、また周りの建物には肖像画が飾られていたり、人々がお祈りしている場所があったり、様々な場所がありましたが、これは詳しい方と一緒に歩かないと初めて来た私にはどこがどんな場所なのかが分かりませんでした。残念。池を渡り真ん中のハリマンディル・サーヒブに入るには長蛇の列。今回は私は渡らなかったので、またいつか行けたらいいなと思います。
夜のゴールデン・テンプル!
ਸੇਵਾ(セーワー)してみよう
ਸੇਵਾ(セーワー)は、シーク教で「無私無欲で奉仕活動を行いましょう」という考え方です。報酬や利益などを求めず誰かを助けましょう。社会に良いことをしましょう。というのは、宗教など関係なくとても大切なことだし素敵な考え方ですよね。私もゴールデン・テンプルでわざわざ行かずとも、日常生活で心がければいいことなのですが。ですが、ここゴールデン・テンプルでもセーワーを行うことができます。
グルドワーラー(シーク教寺院)の掃除などの仕事は、ボランティアで成り立っており、ここゴールデン・テンプルでの様々な仕事も多くの人々の手によって行われています。
シーク教の考え方を象徴するもう一つの文化が、男女や身分など関係なく並んで食事を食べる、というのがあります。この無料の食事を提供される食堂を「ランガル」と呼びます。そしてこのランガルの運営もシーク教徒の手で行われています。
私のようなシーク教ではなく旅行客には、ランガル(共同食堂)でのお仕事が参加しやすいと思います。食堂の入り口に行くと、おじさんたちがプレートを配っています。そのおじさんに「私は何ができますか?」と聞くと「なんでも君がやりたいことをやって。あっちで野菜切ってるよ」と。そのランガルの一角で、多くの人が大量の野菜の皮を剥いたり、カットしたり、様々な下ごしらえをしており、そこに参加させてもらうことにしました。
野菜の下ごしらえ
大量の野菜が届けられていました、これもすべて寄付だそう
男女老若男女関係なく、多くの人が同じ場所で同じ作業をしています。無駄な会話はなく、みんな黙々と作業。そして何より心地よかったのは、私がその中に入って座ってもオーバーリアクトせず(どこから来たの〜?とか外国人〜?とかもなく)それでいて不快感もなく(よくあるジロジロ見られたり、なんだよコイツ的な感じもなく)すごく自然に溶け込めたことです。私も黙々とやっていたからかもしれないけど。
そして作業が、阿吽の呼吸で進むのもすばらしいと思いました。例えば子どもは、作業している人のお皿がいっぱいになったら運んで集めています。ナイフがないな、という素振りをしたら、こちらが聞く前にすぐに渡してくれます。カットしている野菜が目の前に少なくなったら、すぐに誰かが補充します。
まずは、マタルの皮むき。さやから中のお豆を出す作業。全部のお豆を出し終わると、箒ではき、後片付けまで行います。そして印象的だったのは、最後の最後まで、捨てる皮の中に残っている豆がないか確認し続けたこと。この野菜も誰かが汗水流して育ててくれたものです。それを無駄にしてはいけないんだよ、と言われている気がして当たり前すぎることだけど、改めて実感しました。ふだん、インドのお野菜は日本と比べて痛んだ部分なども多いと感じて、捨てる部分が多かったり。。ちょっと胸が痛くなってしまった。
次は、唐辛子のヘタ取り作業。麻袋から出て来たのは、大量の唐辛子とにんにくと生姜。これを分けながらそれぞれ作業します。なくなりそうになったら、どんどん新たな麻袋が運ばれてきて追加されるので、いつ終わるのかな、と正直思いつつ😅 最後の最後まで無駄のないように終えた時、そうだ終わらないものなんてないんだっと思った。なんでも諦め続けなければ終わりはあるんだから。
その次にじゃがいものカット。これまた大量の皮がむかれたじゃがいもを皆んなひたすらに切ります。ナイフの質もあまりよくなくて私も慣れていないので、かなり大変でした。3日経った今も指が痺れています。でも気合いでひたすら切り続けた。誰とも何も話さず、とにかくひたすら。2時間くらい?
チャパティ作り
最後に、チャパティ作り。すべて分業で、生地を作る人、生地を丸める人、生地を伸ばす人、生地を運ぶ人、生地を焼く人。それぞれ作業しています。この場所に来てふと気付いたのが、チャパティ作りの場所には女性が多いということ。男性も少しいたけど。キッチン+料理の提供は、男性が多かったですね。
ランガルのご飯
もっともっと働く予定だったけど、4時間くらいでヘタってしまいました。根性なくてごめんなさい。私も最後にご飯をいただきました。この時は、ダールとチャパティとご飯でした。見た目は、うん、たしかにイマイチですね😂 でもこの写真以上に、すっごくおいしかったんですよ!どれもフレッシュな感じだったし、少しは仕事して食べたご飯はおいしい。
食事をした後、食器を片付けるところにおじさんたちが立っていて、バケツリレーで運んでくれます。そして洗い場で、また別の方達がお皿を洗ってくれています。この水場での仕事は男性が多かった。本当はご飯をいただいた後まで仕事を私もするべきだと思ったけど(女性ももちろんできます)指を負傷してしまっていたので、今回はできませんでした。
人と人が助け合うすばらしさ
「人と人が助け合うすばらしさ」なんて書くと陳腐な言葉に聞こえるけど、でも私はそれを感じました。プレートを配り、カトラリーを配る人。野菜を切っていると座りやすいようにと小さな木の椅子を運んで来てくれる子ども。最後の食器を片付けるところでも人が使った食器を、皆で運び片付ける姿。別に自分でやりゃーよい話ですよ。ふつうの食堂だったら。自分で食器をとって、ご飯食べたら自分で食器を置きに行く。はたまた、そんなに多くの人が来るんだったらさ、自動化にでもすればいいんじゃない?なんて声も現代では聞こえて来そうです。でもそうじゃないところに美しさがあるし、学ぶことがあるんだと思う。
ランガルというのはみんな同じ場所に座り、同じご飯を食べましょう、私たちは同じ人間でそこに差はないのだから、という考えです。でも私はご飯を一緒に食べることではなく、一緒に黙々と仕事をしているときに、こう感じました。インドに来てから少し荒んでた…やっぱり私は日本人でインド人とは分かり合えないのかもしれない、って気持ちが、少し和らいだというか、やっぱり一緒なんだって信じることができそうだった。
もちろんわざわざ、ここに行ってやらなくたっていいこと。普段の生活から心がけることが大切なわけで。でもこうやって違う国で、年齢もバラバラで今までの人生で出会ったことない人、この先も交わることがないであろう人たちと、一緒に肩を並べて同じ作業をするっていうのは、感じることがあったし、体験できてよかったと思う。
多くのことを感じれたし、学べたし、やっぱりここに来て良かったなぁと思ったのでした。そしてこの体験をさせてくれてありがとう。インドに導いてくれて、アムリトサルに導いてくれて、ありがとう!
やっぱりこの写真は撮るよね😘笑
あすゆき
最後までお読みいただき、ありがとうございました🧡
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